略縁起
全国の寺々の中でも、全くユニークなシンボルとなっている瑜祇塔の姿を最右翼に展開する。そして、其処に至る長い厄坂をもつこの寺は、弘仁六年(815)弘法大師四十二歳の時、広く世の人々の厄難を払うための誓願を立て平城天皇の勅命により、厄除け薬師如来を刻んで本尊とし、嵯峨上皇、淳和天皇などから、厄除けの勅命が下向し官寺とされたが、文治四年(1188)の火災で堂宇が灰塵となりましたが、本尊は光を放ちながら西の玉厨子山に飛び去って難をさけられ、後に嵯峨天皇が伽藍を再建し新しく薬師如来の尊像を刻ませ、入仏供養をされると、先に玉厨子山に移られた本尊が戻って後向きに本堂へ入られた。
厄除けの寺として又観光名所として来訪者多く、全国的な評判を呼んでいる。
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