
天平年間、行基の開いた寺で、弘法大師が四国霊場を開く為、四国の東北から右廻りに八十八使の煩悩の数にちなんで霊場を開こうとして当地においでになった時、たくさんの菩薩が座られて、一人の尊い方が立って何かを説いておられる姿を見て、丁度、釈迦如来が印度の鷲峯山での説法の場にそっくり似ていると感じ、印度の霊山を大和国日本に移す意味で竺和山、霊山寺と名付け、持仏の釈迦誕生仏を本尊に収め、八十八ヶ所霊場第一番と定め、霊場の開設成就を祈願されました。その時の御持仏は当寺にございます。白鳳時代の作とされている身の丈三寸の誕生仏です。
大師も霊場開創成就を祈願なされた寺であり、巡拝者は至心に道中の無事と、願いの成就を祈願しておられます。
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