略縁起
用明天皇の二年(千三百六十年前)九州豊後国(大分県)に真野長者という大富豪が海路難船を免れたので本国に帰ると、工匠を集め、十間四面の御堂の木組みをして運び、一夜のうちに建立したと伝えられています。
後に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が十一面観世音を刻まれたがいまは正面厨子内に安置され、厨子の両側に後冷泉以下六帝の勅願による像高1.5メートルの十一面観音像六体が安置され、いづれも国の重文であります。現本堂は、真野長者の建立後三度目の建立で、鎌倉時代嘉元三年(1305)六百七十年前のことでありました。真言密教の本堂としては、屈指のもので国宝であります。又仁王門も鎌倉時代のもので重文となっています。
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