略縁起
この寺は行基の開基、弘法大師の御再興、嵯峨天皇の勅願所でありました。昔は背後に聳ゆる近見山(国立公園)にあり、七堂伽藍は甍を連ね、百坊が谷々にあって、信仰と学問修行の中心道場でありました。再三の火災で古いものは一切焼失しましたが、本尊不動明王は、その都度火難を免れました。
鎌倉時代に大学僧凝然国師が、この寺の西谷の坊で「八宗綱要」を著わしたことは余りにも有名であります。
寺名の円明寺(俗称延命寺)は、松山市の西国五十三番円妙寺と間違って困り円明寺の称をやめて、俗称の「延命寺」を正式の寺号としました。境内には「あせびの木」が沢山あって、春彼岸頃から約一ヶ月間可愛い花をつけます。
伝説には、梵鐘の伝説・孫兵衛伝説・自覚法師伝説などがあります。
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