|
|
|
略縁起
当山は、今から千二百七十年余前越智玉澄公が文武天皇の勅を奉じて、大山積明神を、大三島に勧請し、御法楽所として二十四坊の梵刹を建立しました。後十一年を経て和銅5年、日吉の郷にも勧請して、日本総鎮守三島の御前と称して奉祭した。天正年間、兵火に罹り、社殿伽藍悉くが焼失して、僅かに、当山の一坊だけ別宮明神の別当として再建され、慶長五年、薬師堂も再建されましたが、明治初年の廃仏毀釈により、御本地仏として社殿に奉安してあった大通智勝如来、二大脇士、十六大王子を薬師堂に遷座し、別宮明神と分離独立したが、昭和二十年八月戦禍に遇い、大師堂、護摩堂を残して、本堂、薬師堂、鐘楼、庫裡、付属建物、什器、宝物等一切を灰塵に帰し、現在に至りましたが本堂は昭和五十六年秋、薬師堂は平成三年春に再建しました。
|
|
|