略縁起
当山は小松尾山不動光院 大興寺 泉上坊と号します。弘仁十三年(822)嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が熊野三所権現鎮護の霊場として開創され、御本尊は薬師如来、脇侍は毘沙門天・不動明王ともに弘法大師一刀三礼の尊像と云われ、嘗ては東大寺の末寺とし、四国第六十七番霊場とせられました。
昔は山上・山下に三六坊の僧坊がいらかを連ね、空海・最澄の教えが渾然としてひかり栄えておりましたが、天正の兵乱で長曾我部親元により本堂を残しことごとく焼亡しました。現在の本堂は慶長年間(千五百九十六〜一六一四)に再建せられたものです。
尚、寺宝として約六百年前、藤原経朝卿が病気平癒の礼額として奉納した大興寺の扁額がありますが、「文永四年丁卯七月二十一日書之従三位藤原朝臣経朝」と裏書きされています。又、弘法大師御手植の楠の大樹、四国で最大をほこる仁王尊像、辻の八幡神社に祀られてい貞亨年間の梵鐘は数百の間、四海にひびき渡っています。
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