略縁起
大宝三年(703)三月、西の方の空が鳴動してあたりがうすぐらくなったので、おどろいた僧日証が浜に出てみると、一そうの舟があり舟中で琴を弾く者がおりました。
「われは八幡大明神なり、宇佐より来たる、この地の風光、去りがたしと覚ゆ」とのたまう。
日証は大変驚いて、里人とともに神船と琴を山上に引き上げて、社殿をつくり奉安し琴弾八幡と号しました。
大同年間に弘法大師が当寺に巡錫された折、琴弾八幡の本地仏阿弥陀如来像を画かれて安置し、当山を四国六十八番霊場とせられました。明治初年の神仏分離令によって、六十八番本尊、阿弥陀如来を観音寺金堂に移座しました。これで四国霊場唯一の寺二霊場の札所となりました。
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