略縁起
当山は大宝年間に、法相宗の僧日証上人によって開山され神宮寺宝光院といっていました。大同年間に弘法大師が第七世となられ、南都興福寺にならい、中金堂、東金堂、西金堂の制をとり、七伽藍を造営して、中金堂に聖観音像を彫刻されて安置し、神宮寺を観音寺と改め、四国第六十九番霊場とせられました。七種の珍宝を埋めて地鎮し山号を七宝山と号しました。貞観時代第十世、理源大師の時に院号をも改めて神恵院としました。
明治初年の神仏分離により、六十八番の本尊を西金堂に移座して四国霊場唯一の一寺二霊場となりました。
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