略縁起
当山は行基菩薩の開基と伝えられる。本堂は寛保年間(1741〜3)大師堂は、天保年間(1830〜43)の再建という。
第四十五代聖武天皇が勅命を発して諸国に国分僧寺と尼寺の造営を命じられた。当寺は、阿波の国分寺として行基菩薩によって開基し、釈迦如来の尊像と大般若経を納め、本堂には、光明皇后の御位牌厨子(一尺七寸)を奉祀したといわれ、天正の兵火にかかって焼失するまでは、二キロ四方という広大な寺域に、金堂を中心に七重の塔が建ち、規模の広大建築の巧妙さは一世をおどろかせたと伝えられている。本堂を囲む廃園の石組みは豪快な桃山時代の作だという片鱗をみせている。
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