略縁起
行基菩薩が、天平年間聖武天皇を奉じ仁王経の七難即滅、七福即生の心を以って宝福、長福など七つの寺を建てたのにはじまります。
仁井田明神の傍に七福寺の根本寺として、福円満寺を創建せられました。
のち弘仁年間(810〜23)弘法大師が四国巡錫の時、五社五寺を増建せられ、これを仁井田五社、十二福寺と称し、大師自ら星供曼荼羅を画かれ、三国相承の星供秘法を修せられました。天正五年、兵火にかかり悉く炎上しましたが、時の足摺山主、尊快法親王が弟子の尊信に命じて、現在のところに寺を再建されました。寺名を岩本寺と改めました。以後法灯は伝承せられましたが、明治二年廃仏毀釈の厄難にあい廃寺となりましたが、明治二十三年再興されて今日に及んでいます。
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