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大同二年弘法大師の御開創の名刹で平城天皇の勅願所で、本尊は薬師如来であります。四国霊場の裏関所として万民の尊崇を受け、特に平城嵯峨両帝は親しく行幸され、御朱印を下し一切経並に大般若経を納められ、又毎年勅使を遣わされて護摩供の秘法を修せられた。これよりこの地一円を御荘と称し勅額山号に因んでこの地を平城と呼ぶようになった。寛永十五年京都大覚寺宮空性法親王巡拝の時、当山に一泊され薬師院の院号を賜わった。往時は七堂伽藍がそびえ、四十八坊の末寺があったといわれているが回禄の災に罹り焼失、宇和島藩主伊達宗利侯の祈願所として延宝六年旧観の幾分を回復したが、更に昭和三十四年の災に会い、本堂焼失、昭和三十九年大師創建当時の姿に復旧し、本堂、大師堂、心経宝塔、宝聚殿、書院等、諸堂宇が完成しました。お大師様が残された宝判は特に霊験あらたかです。
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ここが見所
●総欅造の仁王門:約200年前に建立された総欅造の門で、天井の方位盤は特に有名です。
●心経宝塔:弘法大師が平城天皇の病気平癒を願って般若心経の祈祷をしたという故事の由来により建立、全国の信者から寄せられた写経を奉納しています。
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