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大同二年(807)この地を巡錫していた大師は、楠の大樹の梢に一つの宝殊がかかって光を放っているのを発見、此の地こそ霊地と直感し、楠で大日如来をを刻み、宝珠を白毫として納め、一寺を建立して一カ(カは王偏に果)山仏木寺と名づけ、草字体の心経と華厳経一巻を書写して奉納されました。寺はその後俗に大日さまと呼ばれて、ホウソウよけと、牛馬家畜の守り仏として信仰が厚く今もそのお守り札を出しています。宇和島藩主西園寺家の祈祷ならびに菩提寺として栄えましたが、永禄、元亀のころの戦乱に災され寺宝が散逸しましたが、西園寺宣久公の尽力により大半を納めたといわれます。慶安元年(1648)以降は藩主の保護により伽藍を再建し今日に至っていきます。
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*ここが見所
●茅葺き屋根の鐘楼:元禄年間に再建されたといわれています。ちょっと風情を感じます。
●家畜堂:お寺のおこりを由来して牛馬家畜の守護仏としてあまりにも有名です。毎年土用の丑の日には、病気平癒を祈願する胡瓜封じの行事があります。
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