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住古、若い乙女に化身した千手観音菩薩が、大石をいただいて当山にこもり、以来霊場として,人々に尊崇されたが、寺伝によると欽明天皇の勅願によって五世紀の前半、円手院正澄という行者が開創したといわれていますが、のち天平六年(734)役の小角より五代目の寿元という行者が、紀州より熊野権現を観請し、十二坊を建て、修験宗の中心道場にした。更に弘仁十三年(822)弘法大師が四国巡錫の砌、この霊場にとどまり、寺院の再興に貢献されたということです。その後、建久五年(1194)には源頼朝がかつて自分の命を助けてくれた池の禅尼の菩提をとむらうため一堂を建て、経塚を背後の山に築いたと伝えられるが、そのとおり現光山を源光山と改めたといわれております。中世国主西園寺家、伊達家祈願寺として栄えて今日に至る。
仁王門
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大師堂
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本堂
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しあわせ観音
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西国33ヶ所石造群
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天井絵
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*ここが見所
●本堂外陣天井絵:松に鶴や竹に雀等お目出度い絵柄が描かれています。
すべての絵が個性的ですのでお参りの後、観賞をお奨めします。
●しあわせ観音像:庫裏の裏手に鎮座していて、慈悲深いお顔をされています。道中には西国33ヶ所の石像もあり巡拝できます。
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