略縁起
その昔、明神右京、隼人という兄弟の狩人が当山で観音菩薩の尊像を発見、安置したのがはじまりでその後、文武天皇の勅願により大宝元年に創建されました。霊場唯一の年号を寺号とした寺です。
弘法大師が、此処で密教の修法を厳修されてより霊場となり今日に至っております。
仁平二年一山焼失。保元年間(1156〜58)、後白河天皇が病気平癒を祈願全快され、妹の宮を住職とし当山を再興され、盛時には、山内に四十八坊を数えたという大寺でありました。
寛保元年(1741)の久万山農民一揆に時の住職斉秀の説得でみごとな平和解決をみて寺禄百五十石を増し、松山藩主松平家の祈願所になりました。六十年後の天明七年、土佐藩池川の紙漉一揆にも舞台となりました。明治七年の火災以来、代々の住職は、再建に努め、今日、本堂、講堂、仁王門、総門、客殿、方丈、御影堂、掘出観音堂、宿坊が完成しました。参道の老杉檜の美林、楓の繁る薬師堂跡等一円が、指定名勝地となっています。
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