略縁起
弘法大師が四国巡錫の砌、既に籠山年を重ね法華三昧を成就して飛行自在の身を得た土佐の国生まれと称する女人が住んでいました。
大師は自ら不動尊像を刻み、石造一軀を巖峰に封じて全山これ明王と観じ、又木造一軀を本尊として転禍為福の護摩供を修せられました。時に、弘仁六年(815)であったといわれております。十三世紀の末、この不動尊像及び護摩炉檀がそのまま残っており、他に、仙人堂、四十九院の岩屋・三十三所の霊崛等のあったことが伝えられています。いつの頃からか、第四十四番大宝寺の奥の院として輪番管轄されてきましたが、明治七年、第一世の住職が晋山しました。明治三十一年、わずかに仁王門、虚空蔵堂を残して、諸史料ともども全山焼失しました。昭和十九年十一月、国の名勝に、同三十九年三月、県立自然公園に指定されています。
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