略縁起
行基菩薩が、奈良の大仏開眼に先だち仏教宣布のため伊予に来られた時ここを讃仏修業の適地として伽藍を建立、自ら医王仏を手彫して本尊となし薬師如来のおられる浄瑠璃浄土の名を取り浄瑠璃寺と命名された。時に和銅元年(708年)のことであります。
弘法大師が唐より帰朝し大宰府観音寺に留在中、大同二年(807年)当寺に来錫、伽藍を再興し四国霊場の一つに加えられました。
戦国の世、足利幕府に属していた河野家の武将、平岡遠江守道倚は、本尊の利益に感激し荒廃せる寺塔を中興しました。
正徳年間(1705年)山林の火災から堂坊悉く焼失したが天明五年(1785年)再建なり現在に至っております。
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