略縁起
当山の開基は役の行者小角と伝えられ後弘法大師によって再興されたものであります。伽藍を建立するとき八ヶ所の坂道を切り抜いて道路を作ったところから、八坂寺と称え、裏山を御堂山又は行道山といいます。
寺は山の中腹にあり、大宝元年小千伊予守玉興公が開き、文武天皇の勅願所となり、弘法大師は弘仁六年八十八札所に加えたということであります。本尊は阿弥陀如来、脇立毘沙門天は鎌倉期の傑作であります。その後、紀州から熊野山八坂寺と呼ばれました。末寺を有する本山として盛大を極め、修験道の根本寺として僧兵を有するほどであったといいます。
しかし、大正の兵火やたび重なる火災のために寺の規模は縮小し現在にいたっていますが、鎌倉期の石造層並びに宝筐印塔が残っています。
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