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略縁起
当寺は清滝山安養院西林寺と称し第四十五代聖武天皇の天平十三年行基菩薩諸国を巡化して伊予に入り、浮穴郷、来目部、徳威の里、王楯に錫を留め国司越智宿称玉純と共に一宇の仏堂を建立し本尊十一面観音を彫みて安置しました。降って第五十一代平城天皇の大同二年弘法大師は普ねく四国の霊跡を巡礼し給い当国に至り国司越智宿称実勝と謀り当山を現地に移して霊場第四十八番に定め国家の安泰を祈願する道場と定められました。江戸時代に及んで、寛永年中一山烏有に帰し元禄十三年松平隠岐守及び家老、奉行、御代官、久米、浮穴郡役人等により再建しました。宝永四年当山中興覚栄法印代に本堂及び鐘楼堂を再建、文化十年に大師堂、天保十四年に仁王門を再建し今日に至っております。
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