当山は屏風浦五岳山誕生院総本山善通寺と称し、真言宗善通寺派の総本山であり、光仁天皇の御代、宝亀5年6月15日この地にて大師は御誕生遊ばされました。大師自ら建立された真言宗発祥の根本道場であります。紀州高野山、京都東寺と共に弘法大師の三大霊跡と称われている。
大師御誕生の所は今の御影堂の地点に当り、神聖の場所とし奥之院と名づけ西院と称し又誕生院と称し、現に産湯井並に戒坦廻り等が残されている。山号五岳山と称するは伽藍の後方にある香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山の五岳の連山より起り、屏風浦とは往昔この山麓まで入江の海原にして映ずる五岳の山影恰も屏風を立てる状に起因すと伝えられています。大師大同元年8月唐より帰朝、同2年(807)藤原藤嗣卿を以て真言宗弘通の勅許を得、先づ祖先の氏寺として屏風浦に一寺を建立せんと発願されるや御父善通卿はそのことを聞き随喜せられ、荘田四町四方を三宝に供養し伽藍建立の境内地とせられました。
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