当山は、宗祖弘法大師が開基せられた古刹であります。大師が四国を巡錫せられたとき、八十場の霊泉のほとりまで来られたとき一本の霊木があり、光を放っていました。
大師は、その木で十一面観世音、愛染明王、阿弥陀如来の三体の尊像を彫刻し、一寺を草創して、是を安置せられました。当山は昔、金山の中腹にありましたが、後嵯峨天皇の御代に、今の地に移りました。それより前、崇徳上皇が、保元の乱に敗れ、讃岐の国に流され給い、長寛二年二六日御寿四六歳で、鼓カ岡でおかくれになりました。その旨を京都へ奏聞する間、玉棺を当寺に安置し、八十場のあかいをもって菩提を弔うことこそ大凡そ三十七日、毎夜神光がかがやくので、社檀を構えて明りの宮と唱え奉りました。後、寺号を天皇寺、院号を高照院と称えることになりました。
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ここが見所
●白峰宮:崇徳上皇の御霊を慰めるために3代後の二条天皇が建立されたという神社です。
●八十蘇場の清水:「やそばの水はどんどん落ちる つるべでくんで ヤッコでかやせ」むかしから讃岐の童たちに唱われたこの泉は、いかなる早天にも涸れることなく今も清冽に流れています。
景光天皇の御代、南海に征して悪魚の毒に悩んだ讃留霊皇子とその軍兵88人は童子の捧げるこの水によって蘇ったが故に、八十蘇場の水との伝説を持ち、芳甘清碧な水は古くより薬水として尊ばれ、茶人にも愛されて、遠くは阿波山中より求め来る人も多いという。
800年のむかし、保元の乱によって綾北に配流された崇徳上皇が南狩9年にして鼓岡行在所に崩ぜられるや御殯検の地となり、御尊体をこの霊水にひたして損腐を防いだ聖地でもあります。
この清水のそばでいただく「清水屋」さんのところてんはお奨めです。
●山門はありませんが:大きな赤鳥居が建っています。
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