奈良時代の末、天平勝宝年間に、中国の揚州龍興寺の名僧鑑真が、屋島北峰に伽藍建立の霊地を開創したのがはじまりでその弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が、この霊峰に精舎を構えて、後弘法大師が伽藍を現在の南嶺に造営し中興開山と仰がれました。
天暦年中には明達律師が来山して、四天王像を安置せられ、藤原時代(10世紀頃)には現在の本尊、千手観音が刻まれましたが鎌倉時代に今の本堂が建てられてからは次第に衰えた。慶弔16年から元和4年にかけて、現在の本堂は、龍厳上人によって半壊体の大修理が施され、更に元禄2年、享保元年等にも大きな修理が加えられ、江戸時代の様式に改められました。
昭和32年3月から2年間にわたり、解体修理が行われ、柱間装置や建具、縁廻りなどは、古い形に復元され、内外部共丹塗り、一部黒塗りの美しい建物になりました。本堂、本尊、梵鐘、共丹国の重要文化財。
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