当山は桓武天皇の時代に弘法大師四国巡錫の砌、この地に堂宇を建立し、一の宮の別当として、一国一宮を開創、四国三十番の札所と定められました。土佐の豪族であった長曾我部家江戸時代には、領主山内家の厚い信仰と庇護を受け繁栄しました。しかし、明治の大法難の為、一の宮は土佐神社となり、廃寺となってしまいました。
本尊阿弥陀如来をはじめ大師像は国分寺に預けられました。
明治九年、公許を経、本尊を安楽寺(現在の奥の院)へ遷座し、三十番札所を復興いたしました。昭和四年、当地の人達の努力により、国分寺より大師像を迎え、善楽寺を再興し、昭和三十九年開創霊場を善楽寺とし、二ヶ寺を札所と定めましたが、平成六年正月当山に第三十番札所を統一、安楽寺は三十番霊場奥の院として、今日に至っております。
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