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当寺は、弘法大師四国御巡錫の砌り種崎に御留錫ここを開基せられたと伝えられている。其の時に作られたと云われる御座大師が現存している当山は、元高福寺と称して真言宗であったが永禄の頃長曾我部元親が臨済宗に改めた。慶長四年元親卒するに及び当寺を菩提所とし寺号を改めて、高福山雪渓寺と改称された。僧月峰を中興の開山とする。明治初年神仏分離の際廃寺となったが、明治十二年再興を許可せられ、同四十四年寺地を拡張し現在に至る。朱子学南学派の祖とも云うべき僧天室は此の寺の住職で、その弟子に谷寺中があり寺中の弟子に小倉三省と野中兼山とが出た。雪渓寺は実に南学発祥の道場とも云われている。
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ここが見所
*長宗我部信親公墓・・・・豊後の国で薩摩の島津義久の大軍と対峙し奮戦しましたが22歳の若さで戦死しました。
*安産地蔵・・・・安産祈願に多くの人が参拝されています。
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