聖武天皇が天平年間に建設、金光明寺と賜号、釈迦、阿弥陀、薬師の三如来を本尊として安置、そのご弘法大師が四国巡錫の砌四国八十八ヶ所第三番霊場とお定めになりました。日照りに苦しむ住民のために掘られた井戸は今も「長寿をもたらす黄金井戸」として、黄金地蔵とともに霊験あらたかであります。
その後、亀山法皇が精藍を御再興、三十三間堂を建て、千手大悲の観音菩薩を安置し、山号を亀光山と賜号されました。
源平合戦のおり、義経が屋島に向う時、当寺に立ち寄り戦勝開運を祈願した。当時の慈母観音子安大師は、すこやかに育てという親心を、又義経が戦勝開運を祈願した観音菩薩は、今も人生への開運を祈願して参詣者の香煙、日夜絶えることがありません。
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